【即身仏(そくしんぶつ)】とは、食を絶った修行僧が入滅し、ミイラとなったものです。
日本には即身仏が20体以上存在するといわれ、特に山形の出羽三山(でわさんざん)—月山(がっさん)、羽黒山(はぐろさん)、湯殿山(ゆどのさん)の山麓地帯に集中しています。
これらの即身仏は、どのような目的で、どのように生まれたのでしょうか?

即身仏の始まり
平安時代末期の日本では、末法思想が流行しました。
末法思想とは、釈迦の入滅後1500年が経つと戦乱や天変地異が起こるという考えです。
この末法の世の中で広まったのが浄土信仰で、「南無阿弥陀仏」と唱えることで極楽浄土に往生できるとされました。
浄土信仰の僧たちは、競うように念仏を唱えながら往生していきます。

その中で、不思議な出来事が起こりました。
死後も肉体が腐らない者が現れたのです。これが初期の即身仏と考えられています。
例えば、摂津国勝尾寺の座主・証如(しょうにょ)は、20年に及ぶ苦行の末、867年に仏前で定印(じょういん)を結んだまま入滅しました。
しかし、遺体は21日経っても腐敗せず臭いもなかったといいます。
さらに火葬しても定印を結んだ手だけは燃えなかったと伝えられています。

空海も即身仏になっていた?
有名な例として空海の存在があります。
真言宗を開いた空海も、即身仏になったとする説があるのです。
空海の死は835年。
弟子が記した『空海僧都伝』によると、高野山で食を断ち、病によって入滅し、その後埋葬されたとされています。

一方、『続日本後記』からは火葬されたことも読み取れます。
つまり史実では、ミイラになっていないことになるため、ここに大きな矛盾があります。
ところが、空海の死から130年以上後に書かれた『金剛峯寺建立縁起』には、「遺体は腐らず、髪が伸びていたため剃り整えた」と記されています。
この記述から、空海は即身仏になったとする「入定伝説」が生まれました。
この伝説を記した東寺の僧・仁海は、高野山の復興に尽力していた人物です。
そのため、この伝説は高野山再興のために作られた可能性も指摘されています。
さらに16世紀には、「空海が生きたまま土中に入りミイラ化した」という土中入定伝説へと発展していきました。

この話は、宣教師フロイスの書簡にも記録されています。
即身仏信仰は新潟経由で湯殿山へ
空海の入定伝説は、人々に強い影響を与えたと考えられます。
そして江戸時代、この伝説が本格的な即身仏信仰の広がりにつながっていきます。
新潟県には、貴重な即身仏が存在しています。
ひとつは、西生寺に祀られた弘智法印(こうちほういん)で、1363年に亡くなり、日本最古の即身仏とされています。

もうひとつは玉泉寺の淳海上人(じゅんかいしょうにん)ですが、こちらは明治時代の火災で焼失しています。
これらは地上入定型と呼ばれるもので、興味深いのは、淳海上人が高野山で修行していたとされる点です。
つまり、空海の入定伝説が新潟へ伝わった可能性が考えられます。
さらに弟子の全海上人が湯殿山で修行したことで、この信仰は山形へと広がっていきました。
こうして即身仏信仰は、江戸時代に湯殿山で本格的に発展していきます。

土中で念仏を唱えながら死んでいく
湯殿山の修行は非常に過酷なものでした。
行者たちは木食行(もくじきぎょう)という厳しい食事制限を行い、体の脂肪を極限まで落とします。さらに山籠りや水垢離、手灯行、そして漆を飲むなど、ミイラ化しやすくするための荒行を重ねていきます。

即身仏となった人々は下級武士や農民など、比較的身分の低い出身者が多かったとされています。最初の例とされる本明海上人は、藩主の病気平癒を祈願して土中入定を行いました。
1683年、「3年3ヶ月後に掘り起こすように」と遺言し、自ら土中へと入っていきます。土中では竹を通して呼吸しながら、念仏を唱え続け、やがて死に至ります。
その苦しみは想像を絶するものだったといわれています。

まとめ 即身仏の背景には飢饉があった
即身仏が生まれた背景には、大飢饉の存在がありました。
東北地方では飢饉や重税により、多くの人々が苦しんでいました。
中には人肉食が行われたという記録も残っています。

こうした極限状況の中で、行者たちは人々の救済を願い、自ら命を捧げたのです。
木食行も単なる修行ではなく、飢饉食を共にするという意味を持っていました。

つまり即身仏とは、恐ろしい修行の結果であると同時に、人々を救うための祈りでもあったのです。
江戸時代には、湯殿山以外でも全国的に多くの土中入定伝説が伝わっています。
首だけだしたまま土の中に埋まり、水が枯れることのないよう水田地帯を眺めながら入定した例や、反対に水難から人々を守るために人柱として土の中に埋まった例などが存在します。
行者のほとんどが下級僧で、想像を絶する恐ろしい土入定伝説の話しばかりです。
しかし、恐ろしいからと目を背けるわけにはいきません。
平安時代末期の往生が基本的に自身の浄土再生を目指していたのとは異なり、江戸時代の土入定の多くが人々に救済を願って命を捧げていたからです。
その事実を知ると、この話は単なる「怖い話」ではなく、どこか重く、深い意味を持っているように感じられます。

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