仏教にまつわる怖い話④ 即身仏はなぜ生まれた?その目的と過酷過ぎる修行

山と僧侶 イメージ 昔話
※山と僧侶 イメージ

即身仏(そくしんぶつ)」という言葉を聞いたことがあると思います。

修行僧が食を絶ち、やがてミイラとなるーー
あまりに過酷で、どこか恐ろしさすら感じる存在です。

しかし、即身仏は単なる異様な修行の結果ではありません。そこには”人々を救うため”という強い祈りが込められていました。

日本には即身仏が20体以上存在するといわれ、特に山形の出羽三山(でわさんざん)—月山(がっさん)、羽黒山(はぐろさん)、湯殿山(ゆどのさん)の山麓地帯に集中しています。

これらの即身仏は、どのような目的で、どのように生まれたのでしょうか?
その歴史や背景、そして過酷な修行の実態について分かりやすく解説していきます。

山 イメージ
※山 イメージ

即身仏の始まり|腐らない遺体が生んだ信仰

即身仏の起源は、平安時代末期に広まった「末法思想(まっぽうしそう)」にあるとされています。

シトリン
シトリン

“末法思想”とは、釈迦の死後1500年経つと世の中が乱れ、救いが難しくなる。という考え方です。

この影響で、「念仏を唱えて極楽浄土へ往生する」という浄土信仰が広まりました。

山と僧侶 イメージ
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その中で、不思議な出来事が起こりました。
死後も肉体が腐らない者が現れたのです。これが初期の即身仏と考えられています。

例えば、摂津国勝尾寺の座主・証如(しょうにょ)は、20年に及ぶ苦行の末、867年に仏前で定印(じょういん)を結んだまま入滅しました。

しかし、遺体は21日経っても腐敗せず臭いもなかったといいます。
さらに火葬しても定印を結んだ手だけは燃えなかったと伝えられています。

こうした現象が「特別な存在」として信仰され、即身仏の原型になったと考えられています。

炎 イメージ
※炎 イメージ

空海は即身仏だったのか?|入定伝説の真相

即身仏と聞いて、多くの人が思い浮かべるのが空海の存在があります。
真言宗を開いた空海は空海は835年に亡くなりましたが、史実では火葬された可能性もあり、「ミイラになった」という確証はありません。

しかし、後世の記録にはこう書かれています。

  • 遺体は腐らなかった
  • 髪が伸び続けている
  • 今もな生き続けている
山と僧侶 イメージ
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このような記述から、「空海は今も高野山で瞑想し続けている」という入定伝説が生まれました。

この伝説は後に広まり、「生きたまま土に入り仏になる」という思想へと発展していきます。

そしてこれが、後の即身仏信仰に大きな影響を与えたと考えられています。

ミイラ イメージ
※ミイラ イメージ

即身仏信仰の広がり|新潟から山形へ

空海の入定伝説は、人々に強い影響を与えたと考えら、即身仏の文化は、江戸時代に入ると本格的に広がっていきます。

その中心となったのが、山形県の出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)です。

もともと新潟県には、日本最古とされる貴重な即身仏が存在しています。
ひとつは、西生寺に祀られた弘智法印(こうちほういん)で、1363年に亡くなりました。

この流れが山形へと伝わったと考えられています。

山 イメージ
※山 イメージ

もうひとつは玉泉寺の淳海上人(じゅんかいしょうにん)ですが、こちらは明治時代の火災で焼失しています。

これらは”地上入定型”と呼ばれるもので、興味深いのは、淳海上人が高野山で修行していたとされる点です。

特に注目されるのは、高野山で修行した僧が関わっている点です。

つまり、
空海の入定伝説
 ↓
新潟へ伝播
 ↓
山形・湯殿山で発展

さらに弟子の全海上人が湯殿山で修行したことで、この信仰は山形へと広がっていきました。
こうして即身仏信仰は、江戸時代に湯殿山で本格的に発展していきます。

山 イメージ
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想像を絶する修行|土中で念仏を唱え続ける最期

即身仏になるための修行は、極めて過酷なものでした。

代表的なのが「木食行」です。

  • 木の実や草だけを食べる
  • 脂肪を極限まで削る
  • 山籠りや水行を繰り返す
  • 最終的には漆を飲む

こうして体をミイラ化しやすくするための荒行を重ねていきます。

夕焼け イメージ
※夕焼け イメージ

そして最後に行われるのが「土中入定」。

行者は地中の石室に入り、竹の管で呼吸をしながら念仏を唱え続けます。
やがて呼吸が止まり、静かに死を迎えます。

その後、数年に掘り起こされ、腐敗していなければ「即身仏」として祀られるのです。
まさに命をかけた修行でした。

即身仏となった人々は下級武士や農民など、比較的身分の低い出身者が多かったとされています。最初の例とされる本明海上人は、藩主の病気平癒を祈願して土中入定を行いました。

1683年、「3年3ヶ月後に掘り起こすように」と遺言し、自ら土中へと入っていきます。土中では竹を通して呼吸しながら、念仏を唱え続け、やがて死に至ります。
その苦しみは想像を絶するものだったといわれています。

穴 イメージ
※穴 イメージ

まとめ 即身仏は“怖い話では終わらない

即身仏が生まれた背景には、東北地方を襲った大飢饉の存在がありました。

東北地方では飢饉や重税により、多くの人々が苦しんでいました。
中には人肉食が行われたという記録も残っています。

苦難 イメージ
※苦難 イメージ

こうした極限状況の中で、行者たちは人々の救済を願い、自ら命を捧げたのです。
木食行もまた、単なる修行ではなく、飢饉食を共にする。人々と同じ苦しみを分かち合う。という意味を持っていました。

木の実 イメージ
※木の実 イメージ

即身仏は、確かに恐ろしい存在かもしれません。しかし、その本質は『人々を救いたい』という強い祈りにあります。

江戸時代には、湯殿山以外でも全国的に多くの土中入定伝説が伝わっています。

首だけ出したまま土の中に埋まり、水が枯れることのないよう水田地帯を眺めながら入定した例や、反対に水難から人々を守るために人柱として土の中に埋まった例などが存在します。

行者のほとんどが下級僧で、想像を絶する恐ろしい土入定伝説の話しばかりです。

しかし、恐ろしいからと目を背けるわけにはいきません。

平安時代末期の往生が基本的に【自身の浄土再生を目指していた】のとは異なり、江戸時代の土入定の多くが【人々に救済を願って命を捧げていた】からです。

その事実を知ると、この話は単なる「怖い話」ではなく、人間の信念と覚悟の深さを伝える物語にとも言えるでしょう。

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▼仏教にまつわる怖い話①『おむすびころりん』の記事はこちら
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