神社での一般的な参拝作法として知られているのが「二礼二拍手一礼」です。手のひらを「パン、パン」と打つ柏手は、多くの人にとって見慣れた作法ではないでしょうか。
しかし、何気なく行っているこの作法には、それぞれ意味が込められています。なぜ二礼二拍手一礼なのか、なぜ柏手で音を鳴らすのか、そして神道の葬儀ではなぜ音を立てない「忍び手」が行われるのでしょうか?
今回は、柏手に込められた意味や歴史、場面による違いについて、分かりやすくご紹介します。

柏手と拍手の違い
柏手(かしわで)とは、両手を打ち合わせて音を鳴らす作法のことです。柏手がよく見られるのは神社での参拝です。このほか、祈祷や地鎮祭、相撲の土俵入りや取組前などでも行われます。

一見漢字が似ているため、拍手(はくしゅ)と混同しやすいですが、本来の意味は異なります。
- 拍手(はくしゅ)=手のひらを連続で打ち鳴らす。主に称賛時や喜びを表す
- 柏手(かしわで)=基本的に2回。神様への拝礼として行う作法
同じように手を打ち鳴らす動作でも、その目的や意味が異なります。これらの打つ回数の意味にはどんなものが込められているのでしょうか?
柏手を打つ意味
柏手を打つ本来の意味は、【神様への敬意を示す】という儀礼的な行為です。古代の日本には言葉ではなく、手を叩くことで相手を敬う風習がありました。
これは3世紀の魏志倭人伝にも記されています。
『大人(身分の高い人)に会うと、道端でうずくまったり、ひざまずいたりして、ただ手を叩いて拝礼の代わりとしていた』
当時の東アジアでは、貴人に会うと祝いの言葉を述べるのが一般的でした。それに対し、日本人は手を叩く動作だけで相手への敬意を示していました。

日本には昔から言葉には魂が宿る【言霊信仰】があり、言葉には、強い霊力が宿ると信じられてきました。こうした言霊信仰を背景に、神様の前では言葉よりも柏手によって敬意を表してきたという考え方があります。

言葉を発するする代わりに手の音だけで敬意を伝えることは、『私はあなたを崇め、敬います』という意味が込められていたのです。
神道では、音には魂を呼び覚ます力があると考えられてきました。柏手が「魂振り(たまふり)」と呼ばれるのもそのためです。
お祭りで太鼓を打ち鳴らしたり、芝居の始まりに拍子木を鳴らしたりする風習も、音によって人々の心や場を整えるという考え方と重なる部分があります。
さらに手を叩くことで、その場の邪気を払い、清らかな気を呼び込む効果があるとされています。柏手には、神様への敬意を表すだけでなく、神様を招き、その場を清めるという意味も込められてきました。

そこで思い出してみてください。神社での参拝時に音の鳴るものは柏手だけですか?大抵の神社にある音の鳴るものといえば、そう、鈴ですね。
「ガラガラ」と音を鳴らすことはまさに魂振りそのものになります。これには神様を呼び込む意味と参拝者自身の魔を払う効果があるとされています。
音を鳴らす動作と音自体にも意味が込められていました。昔も今も神様への敬意の形は変わることなく生き続けています。

二礼二拍手一礼にはどんな意味がある?
二礼二拍手一礼には、それぞれの動作や回数に意味が込められています。
1.二礼…神様への敬意と感謝の気持ちを表す(二礼の際にお辞儀は90度)
2.二拍手…神様を招き入れ、邪気を払う
3.一礼…感謝と敬意を表す
なお、厳密な動作をお話すると…
- 二拍手では右手を少しずらして手を打ちます(一説には、手の節=関節が合わさることは不幸せに通じるとして避けると言われているそうです)
- 柏手を二度打った後は、ずらした右手を元の位置に戻してから手を合わせ、お祈りします。

古来より、右手は自分、左手は神様を表すとされていました。右手を少し下げることで、神様に対して一歩下がり、敬意と感謝の気持ちを表します。
また手のひらを戻すことで神様と自分自身が一体となった【神人合一(しんじんごういつ)】という意味も込められているのです。

神社によって参拝作法や回数に違いはありますが、「神様への敬意を表す」という基本的な考え方は共通しています。
では、そこ逆の柏手を打ってはいけない場面があるのをご存知でしょうか?次の章で詳しくお伝えしようと思います。
柏手を打たない場面とは?お寺と神葬祭で異なる作法
神社では柏手を打つことが一般的ですが、すべての参拝や祈りの場で同じ作法を行うわけではありません。
柏手を打たない場面とはどういったものなのでしょうか。
お寺で柏手を打たない理由|合掌に込められた意味
神社では柏手を打つことは、神様に敬意と感謝を表し、邪気を払うための作法ですが、お寺は静かに合掌するのが基本の作法となります。
手を合わせることは同じでも、場所が違えば意味も変わってきます。それでは合掌の意味とは何か?
合掌は両手のひらを合わせる所作のことで、一説では、右手を仏様、左手を自分自身に見立て、両手を合わせることで仏様と自分が一体になることを表すとされています。
ではなぜ、仏と一体になる必要があるのでしょうか?

これは宗派による違いはあれど、本来の目的は、仏と一体になることで、自分の身を清めるために行ってきたと言われています。

仏様に向かい、敬意を持って手を合わせるわけですから無礼があってはいけません。さらに仏前では静かに手を合わせることが、敬意を表す大切な作法となっているからです。
静かな時間の中で自分自身と向き合うことも、合掌が持つ大切な意味の一つなのかもしれません。たった数秒のこの静寂により、自分の内面と向き合うことは悟りの境地を体現してると言っても良いのではないでしょうか?

このように、神社とお寺では本来の参拝の意味が異なるため、場面によって作法が異なるということになります。
神社では音によって神様への敬意を表し、お寺では静かに手を合わせることで敬意を表す。どちらも大切なのは、相手への敬意を形にするという心なのです。
神葬祭ではなぜ柏手を打たないの?|忍び手の意味
お寺での参拝の他にも柏手を打たない場面があります。それが神葬祭(神式の葬儀)における作法、忍び手です。
忍び手(しのびて)とは、音を立てずに行う柏手のことです。二礼二拍手一礼の作法でも、手を打ち合わせる動作だけを行い、音は鳴らしません。
この忍び手という名前には、【偲ぶ(しのぶ)】と【忍ぶ(しのぶ)】の2つの意味が込められています。故人を思うという気持ちと、静かに身を潜めるという意味です。

神様への敬意を音で表す柏手とは対照的に、神葬祭では静けさの中で故人を偲ぶ気持ちが大切にされています。
その意味では、お寺での合掌にも通じる部分があるのかもしれません。同じ神道の作法であっても、祝いの場と故人を見送る場では、音に込められた意味まで変わるのです。
まとめ
柏手は単に手を叩く動作ではなく、神様への敬意や感謝を表し、神様を招くという意味が込められています。また、神社・お寺・神葬祭では、それぞれ信仰や場面に応じて作法が異なります
。普段何気なく行っている参拝作法も、その意味を知ることで、日本人が大切にしてきた祈りや敬いの心が見えてくるのではないでしょうか。

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