「あゆち」とは何?愛知県名の由来と【海から吹く幸運の風】伝説

風と波に戯れる女性 イメージ 文化探訪
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今の日本には47都道府県ありますが、その一昔前までは、県名も市区町村名も全く違っていました。

愛知県という県名は、『愛を知る』あるいは『知を愛する』ような情緒的な印象を受ける、美しい響きの名前です。

皆さんは「あゆち」という言葉を耳にしたことはありますか?多分耳にしたことがある方は少ないかもしれません。

「あゆち」という言葉が愛知県の由来になったという話をしていこうと思います。

この話を読み終える頃には、伝説が県名とどのように結び付いているのか、そして地名が持つその土地ならではの面白さが見えてくるはずです。

風と雲 イメージ
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【あゆち】とは?古代の地名「年魚市(あゆち)」

あゆち」とは、愛知県の県名の由来になった古代の地名です。元々は名古屋市南区から熱田区付近に広がっていた広大な干潟でした。

干潟 イメージ
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しかし、「あゆち」は昔の愛知県全体を指す名前ではありません。一般的な感覚だと、昔の愛知県は尾張国と三河国を想像すると思います。

簡単に説明すると、尾張国(おわりこく)と三河国(みかわこく)はという一つの括りのことです。

対して「あゆち」は、一部地域にあった群(今の市区町村)にあたります。そのため、尾張国の中にあゆち群が存在していたと言うと分かりやすいと思います。

奈良時代の尾張国と三河国の地図。あゆち軍の位置を元にした概略図。
奈良時代の尾張国と三河国の地図。あゆち軍の位置を元にした概略図。

この「あゆち」という呼び名は飛鳥時代から奈良時代に呼ばれたものでした。

地名の多くは漢字が伝わる以前から存在していたため、後から音に合わせて漢字が当てられました。その漢字が「年魚市(あゆち)」です。

現在の感覚でこの漢字を見ても、「あゆち」とは到底読めませんが、当時の漢字自体に意味はなかったそうです。


万葉集に登場する年魚市潟

古代の地名「あゆち」は、日本最古の和歌集『万葉集』にも登場します。その様子は、万葉集巻三・二七一に収められた高市黒人(たかちのくろひと)の歌にも残されています。

『桜田(さくらだ)へ鶴(たづ)鳴き渡る 年魚市潟(あゆちがた) 潮干(しほひ)にけらし 鶴鳴き渡る』

飛び立つ鶴 イメージ
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現代語訳すると、『桜田の方へ鶴が鳴いて飛んでいく。年魚市潟は潮が引いたらしい。だから鶴が鳴いて渡っていくのだなぁ』という意味になります。

桜田とは、現在の名古屋市南区桜木町や桜台の付近を指します。

シトリン
シトリン

潮が引いた干潟はエサとなる魚や貝が捕りやすくなったため、鶴たちが一斉に集まっていく。というのどかな情景を詠んだものです。

また、この干潟では鮎が多く捕れたことから、「鮎市」という漢字が当てられたとも言われています。


海から吹く【幸運の風伝説】

「あゆち」には、季節ごとに西の彼方から【幸福や平和をもたらす風 (あえの風) 】が吹くという、尾張地方に古くから伝わる伝承があります。

シトリン
シトリン

伝承によれば、この風が吹くと、住民たちの稼業である漁業に豊かな収穫をもたらすと言われているそうです。

さらにこの伝説は伝承だけでは終わりません。なぜ尾張地方に伝説の風が吹いたのでしょうか?

そこには、「あゆち」の地形、熱田神宮への信仰、そして天下人たちの政治的思想が絡んでいるのでした。

風に揺れるススキと雲 イメージ
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地形が生んだ風の伝説

昔の名古屋市南区一帯、熱田区一帯には広大な干潟が広がっていました。

シトリン
シトリン

南から吹き込む暖かく湿った風は雨をもたらし、豊漁・豊作の他、農作物を育てる恵みの雨になったと言われています。

当時の人たちにとって、その風は暮らしを支える「恵み」そのものだったのでしょう。自然の恩恵がもたらすものが、伝説並みにありがたかったのですね。

昔の人は風を肌で感じながら、その年も無事に過ごせることに思いを馳せたと思われます。風が吹き、雨が降ることで海産物が獲れ、稲が育つ。

自然の恵みは、今よりもはるかに暮らしを左右する存在でした。

海岸に打ち寄せる波と風 イメージ
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だからこそ、その恩恵は「幸運の風」=【命を運ぶ風】という伝説として語り継がれてきたのかもしれません。すごく日本らしいお話だと感じました。

こうした自然の恵みをもたらす風は、やがて信仰とも深く結び付いていきます。

熱田神宮と信仰心

熱田区といえば、有名なのが熱田神宮です。

尾張藩初代藩主・徳川義直をはじめとする知識人たちは、【熱田神宮は海の向こうから吹く幸運の風を迎える神聖な場所】として、人々の信仰を集めていたと伝えられています。

奈良時代の尾張国とあゆち群。西から吹く「あえの風」を受ける熱田神宮の概略図
奈良時代の尾張国とあゆち群。西から吹く「あえの風」を受ける熱田神宮の概略図

風は目に見えません。しかし、昔の人々はその風が暮らしに恵みをもたらすことを知っていました。

シトリン
シトリン

そのため、風そのものを神様からの贈り物として受け止め、熱田神宮はその神聖な風を迎える場所として考えられていたようです。

名古屋市熱田神宮 イメージ
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織田信長公が目指した平和な国|天下人たちが描いた理想郷

幸福の風が吹く尾張国は日本の中央に位置するため、当時は理想郷とされていました。そして、尾張出身の織田信長公は、この「あえの風伝説」を日本全国へ広げようと試みるのでした。

「あえの風」によって国が豊かになることを全国に広めたいと考えていたそうです。

シトリン
シトリン

信長公の野望は、あゆち思想とも呼ばれたとされています。

一部では、この「あゆち思想」こそが、織田信長公の天下布武の理念につながっているという見方もあるそうです。

天下布武と聞くと、武力による制圧と捉えられがちですが、実際は信長公の故郷である名古屋と、「あえの風伝説」が深く結びついていました。

織田信長公が理想とするのは、「領主が出陣する時でも、農民が昼寝をしていられる国」でした。

実際、領主である信長公が出陣する傍らで、農民たちが昼寝をしているところを目撃しました。この光景を目にした織田家の家臣は大層立腹したそうですが、信長公はそれを諌めます。

『わしはこの光景が好きだ。農民が昼寝をしていられるような世(国)を作るのが、我が願いである』とーー

それこそが織田信長公が理想とする平和そのものだったのでした。

この思想は後の徳川家康公、義直公も受け継いでいったため、名古屋城は「幸福の風が吹く理想郷」という意味を込めて【蓬左城(ほうさじょう)】と呼ばれていました。

名古屋城 イメージ
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名古屋に受け継がれた蓬左思想

  • 蓬左の“蓬”とは、蓬莱(中国の伝説で仙人が住むと言われる不老不死の地=蓬莱山)に例えられています。
  • 蓬莱の“左”は、朝廷のある京都や大阪から見ると、熱田神宮は北側(左側)に位置することから、名古屋の街そのものを蓬左と呼ばれるようになりました。

意味からも分かるように、地域繁栄を理想としていた天下人のが想いが込められていたのです。


「あゆち」から「あいち」へ

冒頭でも紹介したように、尾張国の一部地域は「年魚市(あゆち)」と呼ばれていました。

時代が進むにつれて、「年魚市郡(あゆちぐん)」は、縁起の良い漢字を当てた「愛知郡(あゆちぐん)」へと表記が変わっていきます。

こうして「あゆち」は、やがて漢字の読み方に合わせて「あいち」と呼ばれるようになり、現在の「愛知県」という県名へ受け継がれていきました。

名古屋上空からみた航空写真 イメージ
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まとめ

シトリン
シトリン

飛鳥時代から奈良時代にかけて使われていた「あゆち」という地名は、現在でも名古屋市内の各地にその名残を残しています。

  • 阿由知通(あゆちどおり)
  • 年魚市潟景勝跡
  • あゆち水/あゆち水跡
  • 蓬左文庫/食事処 蓬左

名古屋市昭和区には阿由知通(あゆちどおり)という大通りが使われており、住所としても昭和区阿由知通1丁目〜5丁目が存在しています。

名古屋市南区には、年魚市潟景勝跡の碑という、かつての景勝地を偲ぶ石碑や歌碑が残されています。

その他、あゆち水という湧き水の出る井戸跡も存在しており、現在は住宅街の中にある小さな史跡(あゆち水跡)として保存されています。

名古屋城に由来する「蓬左」という言葉も、現在は蓬左文庫や名古屋能楽堂内の和食処「蓬左」などに受け継がれています。

普段何気なく目にしている地名にも、その土地ならではの歴史や文化が息づいています。地域の名前の由来を知ることも、文化探訪の楽しみの一つではないでしょうか。

干潟 イメージ
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