長崎県を代表する秋祭り【長崎くんち】。豪華な龍踊りや異国情緒あふれる演し物で知られていますが、実は私は長崎くんちについて詳しく知りませんでした。
調べ始めてみると、『モッテコーイ』という独特の掛け声や、中国文化の影響を受けた龍踊り、さらには長崎ならではの歴史や文化が深く関わっていることが分かります。
そもそも【くんち】とは何なのでしょうか?なぜ長崎の祭りには龍が登場するのでしょうか?
この記事では、長崎くんちの歴史や見どころ、掛け声の意味などを、文化的背景とあわせて分かりやすく紹介します。

長崎くんちとは?
長崎を代表する秋祭り長崎くんちは、長崎の氏神として親しまれている諏訪神社の秋季大祭です。
毎年10月7日から9日までの3日間にわたり開催され、長崎を代表する祭りとして多くの人々に親しまれています。
その始まりは1634年(寛永11年)とされ、諏訪神社へ奉納された「小舞」が起源と伝えられています。
以来、長崎奉行の保護を受けながら発展し、異国文化の影響を取り入れた華やかな祭礼へと成長しました。
現在は長崎市内の58の町が「踊町(おどりちょう)」として参加しており、奉納踊を担当する当番町は7年に一度巡ってきます。
約400年にわたり受け継がれてきた長崎くんちは、長崎の歴史と文化を象徴する伝統行事の一つです。
【くんち】という名前の由来
くんちという言葉の由来にはいくつかの説がありますが、現在もっとも有力とされているのは、中国から伝わった「重陽の節句」に関係する説です。
重陽の節句は旧暦9月9日に行われる行事で、この「9日(くにち)」が転じて「くんち」になったと考えられています。
※菊を用いて邪気を払い、無病息災や不老長寿を願うことから「菊の節句」とも呼ばれます。

一方で、語源には別の説もあります。
・神様へ収穫物を供える日を意味する「供日(くにち)」説
・ 神社の祭礼日を意味する「宮日(みやにち)」説
・ 特別な日にごちそうを食べる「肉日(にくにち)」説などが知られています。
どの説が正しいかははっきりしていませんが、いずれも神様への感謝や祭礼と深く結び付いている点は共通しています。
現在では「9日(くにち)」が訛って【くんち】になったという説が広く知られており、長崎くんち以外にも各地の「○○くんち」の語源として考えられています。
踊町(おどりちょう)とは?
長崎くんちの主役ともいえるのが踊町(おどりちょう)です。
踊町とは、その年に奉納踊を担当する当番町のことで、長崎くんちの運営や演し物の披露を担う重要な存在です。
江戸時代から続く伝統的な仕組みで、各町は大きな誇りを持って祭りに参加しています。

現在、長崎市内には58の踊町があり、7つの組に分けられています。
奉納踊を担当する当番は7年に一度しか回ってこないため、すべての踊町の演し物を見ようと思うと、少なくとも7年間は長崎くんちに通い続ける必要があります。

毎年違った演し物が見られるのも、長崎くんちの大きな魅力の一つです。
お祭りの時だけ復活する「昔の長崎 踊町」は現在の住所区分ではなく、江戸時代から続く歴史的な町割りをもとにしています。

そのため、普段の生活では使われなくなった旧町名や昔の区分が、長崎くんちの期間中になると再び重要な意味を持ちます。
長崎くんちは長崎の歴史や町の記憶を今に伝える行事でもあるのです。

なぜ長崎くんちは特別なのか?
文化的背景を探る長崎くんちは約400年の歴史を持つ伝統行事ですが、その魅力は豪華な演し物だけではありません。
実は長崎くんちには、長崎という町ならではの歴史や文化が深く関わっています。
なぜ中国の龍を思わせる演し物が登場するのでしょうか。なぜ長崎の祭りは他地域の祭礼とは少し違った雰囲気を持っているのでしょうか?
その背景には、キリシタン文化や海外との交流によって育まれた長崎独自の歴史があります。ここからは、長崎くんちを特別な祭りにしている文化的背景について見ていきましょう。

1. 長崎くんちが始まった時代背景
16世紀後半の長崎は、キリシタン大名・大村純忠によってイエズス会へ寄進され、多くの住民がキリスト教を信仰していました。
そのため当時の長崎には教会が建ち並び、日本でも珍しいキリスト教文化が根付いた町だったといわれています。

ですが江戸時代に入ると、幕府は長崎を「日本の町」に戻そうと考え、徳川幕府はキリスト教を禁止しました。
長崎を直轄地とした幕府は、キリシタン信仰を抑えるために神道や仏教を広める政策を進めます。その象徴が1625年に創建されたのが諏訪神社でした。

諏訪神社創建から約10年後の1634年、長崎奉行の後押しによって始まったのが長崎くんちです。

現在では長崎を代表する祭りとして親しまれていますが、当時は住民が神社へ参拝し、キリシタンではないことを示す役割も担っていたと考えられています。
さらに幕府は祭りを盛大に行うことを奨励し、人々を神社へ引き寄せようとしました。
現在の華やかな長崎くんちの裏には、このような長崎ならではの歴史が隠されているのです。
2. 「和華蘭文化」が生んだ異国情緒
「和華蘭文化」とは、日本(和)、中国(華)、オランダ(蘭)の文化が混ざり合って生まれた長崎独自の文化です。
江戸時代の日本は鎖国をしていましたが、長崎だけは海外との交流が続いていました。出島にはオランダ人が暮らし、唐人屋敷には多くの中国人が住んでいたため、長崎の人々にとって異国文化は決して特別なものではありませんでした。

異文化が日本に入ってくるとその影響は人々の暮らしに変化をもたらしていき、異国文化は祭りの中にも取り入れられていきます。
そして時が経つにつれて、次第に幕府はキリスト教を厳しく取り締まっていました。しかし中国やオランダの文化まで否定したわけではありませんでした。
そのため長崎くんちでは、中国の龍や異国風の衣装、音楽などが演し物に取り入れられるようになります。
日本の神社の祭りでありながら、どこか海外の雰囲気を感じさせる理由はここにあります。
3. 町人たちが受け継いだ風流精神
さらに長崎の町人たちは、新しい文化や流行を積極的に取り入れる気風を持っていました。
7年に一度しか回ってこない踊町の当番では、「他の町よりも面白い演し物を見せたい」という強い思いがありました。町人たちの競争心が祭りを進化させたとも言えます。
その結果、中国文化やヨーロッパ文化、日本の伝統文化が融合し、現在の長崎くんちへと発展していったのです。

長崎くんちを彩る代表的な演し物(だしもの)
長崎くんちの大きな魅力の一つが、各踊町が披露する「演し物(だしもの)」です。
演し物には、日本の伝統芸能を受け継ぐものから、中国やヨーロッパ文化の影響を感じさせるものまでさまざまな種類があります。
それぞれの演し物には町の歴史や文化が色濃く反映されており、大きく次の4つのタイプに分けられます。

| 分類 | 特徴 |
|---|---|
| 踊り(本踊) | 日本舞踊を中心として格式高い演目 |
| 曳物(ひきもの) | 巨大な山車や船を引き回す |
| 担ぎ物(かつぎもの) | 重量物を担ぎ上げる迫力満点の演目 |
| 通り物(とおりもの) | 行列や練り歩きそのものを見せる演目 |
豪快な「龍踊り(じゃおどり)」
龍踊(じゃおどり)は、長崎くんちを代表する演し物の一つであり、お祭りの代名詞ともいえる存在です。
そのルーツは、かつて長崎の唐人屋敷に住んでいた中国人たちが、旧正月の行事などで披露していた「龍燈踊(じゃおどり)」にあるとされています。
本博多町の人々が中国人からこの踊りを学び、享保年間(1700年代前半)に長崎くんちの奉納踊として披露したことが始まりと伝えられています。
龍踊りは豊作や繁栄への願いが込められた演目です。
龍が追いかける金色の玉は、太陽や月、あるいは「如意宝珠(にょいほうじゅ)」を表していると言われています。
物語では、お腹を空かせた龍が暗雲の中から現れ、玉を追いかけ回します。
そして激しい追いかけっこの末に玉を手に入れ、雨をもたらし、五穀豊穣へとつながると考えられてきました。

中国文化の影響を色濃く受けながらも、日本の祭礼文化と融合した長崎らしい演し物ですね。
龍衆が生み出す圧巻の迫力龍の体は長さ約20メートル、重さは100〜150キロにもなります。この巨大な龍を操るのが「龍衆(じゃしゅう)」と呼ばれる担ぎ手たちです。
龍衆は棒で龍を支えながら息を合わせ、まるで生き物のように躍動する姿を表現します。激しい動きが続くため、数分ごとに担ぎ手が全力で交代する「総入れ替え」が行われます。

また、とぐろを巻く「ズグリ」や、自らの体を飛び越えるような豪快な動きなど、一瞬のミスも許されない高度な技術とチームワークも見どころです。
長崎くんちを初めて訪れた人の多くが驚くのが、この龍踊りの迫力です。
まるで本物の龍が暴れ回っているかのような姿は、長崎くんちを象徴する光景となっています。
2. 長崎の海外交易を象徴する船の演し物
長崎くんちには、長崎が海外との交流によって発展してきた歴史を象徴する「船」の演し物があります。
代表的なのが唐船と御朱印船です。
唐船(唐人船)とは、江戸時代に長崎へ来航していた中国の商船をモチーフにした演し物です。
中国風の華やかな装飾や衣装が特徴で、船を豪快に回転させる「船回し」は長崎くんち屈指の見どころとして知られています。

御朱印船は、長崎の豪商・荒木宗太郎と安南国(現在のベトナム)の王女アニオー姫の物語を題材にした演し物です。
異国の王女を長崎へ迎えたという実話をもとにしており、長崎の国際交流の歴史を今に伝えています。
船の重さは約5トンにも及び、曳物の中でも最大級です。船上では荒木宗太郎とアニオー姫に扮した子どもたちが登場し、異国情緒あふれる華やかな世界を演出します。

さらに補足。御朱印帳船とは、江戸時代に海外交易を行うための許可証「御朱印」を受けた商船のことを指します。

そのため、私たちがイメージする神社でもらう御朱印帳とは別物になります。ただ、元をたどればどちらも「公的な印」という意味では同じです。
3. 鯨の潮吹き
鯨の潮吹きは長崎を代表する人気演し物鯨の潮吹きは、万屋町が奉納する長崎くんち屈指の人気演し物です。
全長約6メートル、重さ2〜3トンにもなる巨大な鯨が登場し、豪快な動きで観客を魅了します。本物さながらの潮吹きが見どころ鯨を曳く「根曳」と呼ばれる人々が、鯨をまるで海を泳ぐように操ります。

そして最大の見どころが、頭上から勢いよく噴き上がる潮吹きです。観客席まで水しぶきが飛んでくることもあり、「水を浴びると縁起が良い」ともいわれています。
長崎と鯨の歴史を伝える演し物この演し物には、かつて長崎周辺で盛んだった捕鯨文化への感謝や豊漁祈願の意味が込められています。
演技中には「鯨唄」が響き渡り、鯨と共に生きてきた人々の歴史を感じさせます。長崎くんちの鯨の潮吹きは、迫力ある演技とともに、長崎の海の歴史を今に伝える演し物でもあるのです。

4. 優雅な本踊り
本踊(ほんおどり)は、長崎くんちの演し物の中でも、日本の伝統美を色濃く感じられる演目です。
龍踊や唐船のような迫力ある演し物とは異なり、踊り子たちが舞台上で優雅に舞う姿によって観客を魅了します。
日本舞踊を受け継ぐ格式高い演目本踊では、長唄などの三味線音楽に合わせて踊りが披露されます。演目は町ごとに異なり、五穀豊穣を願う「三番叟」や、能・狂言を題材にしたものなどさまざまです。

長崎らしい異国情緒も見どころ本踊は純粋な日本舞踊だけではありません。長崎ならではの歴史や異国文化を取り入れた演目もあり、代表的なものが「阿蘭陀万歳(おらんだまんざい)」です。
オランダ人に扮した踊り手が登場するこの演目は、長崎らしい和華蘭文化を感じさせます。本踊を支える職人たち演じるのは町内の踊り手たちですが、衣装やかつら、着付けなどには専門の職人が関わることもあります。
舞台上で一瞬にして衣装が変わる「引き抜き」など、伝統芸能ならではの技法が見られることもあります。
神様への最初の奉納長崎くんちでは、本踊が祭りの始まりを飾ることも少なくありません。これは「激しい演し物の前に、まずは美しい踊りで神様にご挨拶する」という考え方に由来するといわれています。
豪快な龍踊や船回しとは違った魅力を持つ本踊は、長崎くんちのもう一つの主役といえるでしょう。

長崎くんち名物の掛け声とは?
長崎くんちでは、演し物に合わせてさまざまな掛け声が飛び交います。
観客も一緒になって声を出すことで、会場全体が一体となるのも長崎くんちの魅力の一つです。代表的な掛け声を紹介します。
『モッテコーイ』の意味
長崎くんちで最も有名な掛け声です。演技を終えて退場しようとする曳物や担ぎ物に対して、「もう一度見せてくれ!」という意味を込めて叫びます。
川船や龍踊などの演し物では、会場中に「モッテコーイ!」が響き渡る光景を見ることができます。

『ショモーヤレ』とは?
「所望するから、もう一度見せてほしい」という意味の掛け声です。
主に日本舞踊である本踊に対して使われ、優雅な演技への称賛とアンコールの気持ちが込められています。
『ヨイヤー』
「見事だ!」「素晴らしい!」という称賛の意味を持つ掛け声です。
特に傘鉾が美しく回転した時などに掛けられ、演技の成功を讃える声として会場に響きます。
初めて長崎くんちを訪れる人は、ぜひ掛け声にも耳を傾けてみてください。観客の声が加わることで、お祭りの熱気をより身近に感じられるはずです。

本番以外にも楽しめる!長崎くんちの見どころ4選
長崎くんちの魅力は、本番の奉納踊だけではありません。
本番前のお披露目行事や、街なかで気軽に演し物を楽しめる催しなど、知っていると何倍も楽しめる見どころがあります。
ここでは、初めて長崎くんちを訪れる人にもおすすめしたい、本番以外の楽しみ方を紹介します。
1.本番前の「庭見世(にわみせ)」
庭見世(にわみせ)は、本番直前の10月3日に行われるお披露目行事です。
踊町が本番で使用する豪華な衣装や楽器、演し物の装飾、お祝い品などを町内の店舗や民家に展示し、一般公開します。
演技そのものは行われませんが、本番に向けた準備の様子や町の意気込みを感じられる貴重な機会です。
2. 無料で楽しめる「庭先回り(にわさきまわり)」
庭先回りは、本番期間中の10月7日〜9日に行われます。演者たちが長崎市内を巡り、神社や観覧席以外の場所でも演し物を披露する行事です。
街のあちこちで本番さながらの演技を見ることができるため、長崎くんちを身近に楽しめる人気イベントとなっています。
| 項目 | 庭見せ | 庭先回り |
|---|---|---|
| 開催期間 | 10月3日 | 10月7日、8日、9日 |
| 内容 | 衣装や道具の展示 | 実際の演技披露 |
| 演技 | なし | あり |
| 雰囲気 | 展示会・お披露目 | お祭り本番 |
| おすすめ | 準備や裏側を見たい人向け | 演し物を間近で見たい人向け |
階段を駆け下りる御神幸(ごしんこう)
御神幸とは、神社の神様が神輿に移り、年に一度だけ街なかを巡るお祭りのメイン行事です。
長崎くんちにおいて、諏訪神社の神様が山に降りて、街なかにある臨時の仮宮(かりみや)へと移動、滞在する一連の神事の総称を指します。
別名【お下り、お上り(おくだり、おかえり)】とも呼ばれ、非常に荘厳で迫力のある行事です。
御神幸では、神輿を担いだ人々が諏訪神社の長い石段を一気に下りる場面もあり、その迫力ある光景は長崎くんちの見どころの一つとなっています。
祭りのシンボル・傘鉾(かさぼこ)
傘鉾とは、各踊町を象徴する豪華な飾りであり、長崎くんちの行列の先頭を飾るシンボルです。

龍踊や鯨の潮吹きなどの華やかな演し物に目が行きがちですが、傘鉾こそが踊町の誇りを表す最も格式高い存在とされています。
重さ100キロを超える傘鉾を美しく回転させる姿には、観客から「ヨイヤー!」という掛け声が飛び交います。

まとめ
お祭りの山車は日本全国にありますが、様々な異文化が合わさった和華蘭文化を持つ長崎は特に特殊に感じられます。
歴史の教科書でも習った踏み絵が祭りにも関係してるのには驚きでした。
長崎くんちを調べていると、出島や大浦天主堂、グラバー園など、長崎の歴史や文化に関わる場所が次々と出てきました。
どうやら長崎の魅力は、まだまだ長崎くんちだけでは語り尽くせそうにありません。また別の記事でも、長崎の文化や歴史を探っていきたいと思います。

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