「今日は何曜日?」私たちは毎日、当たり前のようにそう言いながら生活しています。
月曜日が憂鬱だったり、金曜日になるとホッとしたり。 曜日によって気分が変わる人も多いのではないでしょうか。
では、その曜日の名前がどこから来たのか考えたことはありますか?最初は「陰陽五行が由来なのだろう」と思っていました。
ところが調べてみると、曜日の歴史は想像以上に壮大でした。
実は曜日の歴史をたどると、日本だけでなく、中国、ローマ、そして古代バビロニアまで遡ります。
普段何気なく使っている曜日には、数千年にわたる文明の歴史が隠されていました。今回は曜日の由来をたどりながら、世界を巡る文化の旅へ出発してみましょう。

曜日はどこから始まった?古代バビロニアが生んだ7曜
曜日の起源は、約4000年前の古代バビロニアまで遡ります。当時の人々は、夜空に輝く天体の動きを観察しながら生活していました。
太陽や月、そして肉眼で見ることのできた水星・金星・火星・木星・土星は、季節や時間を知るための大切な目印だったのです。

こうした天体の動きを観察する学問が天文学でした。
一方で、人々は天体を単なる星ではなく、神々の意思や人の運命を映し出す特別な存在だとも考えました。これが占星術です。
この「天文学」と「占星術」という二つの考え方が重なり合い、やがて七曜(ななよう)という概念が誕生しました。七曜は後に、一週間を7日で数える現在の暦へと繋がっていきます。
では、天文学と占星術はどのようにして七曜を生み出したのでしょうか?

人々は生き残るために星を見上げた
古代バビロニアの人々が星空を見上げ続けた背景には、「国家の存亡」と「日々の生存」がかかるという切実な理由がありました。
バビロニアの世界観では、星は天体に宿る神そのものであり、夜空は神々が人間に向けたメッセージの舞台だと考えられてきました。

これらには天変地異の予兆があり、日食、月食、惑星の異常な接近は神の怒りや王の死、戦争の敗北を告げる警告と捉えてられてきたからです。
王や神官達は、神の警告をいち早くキャッチし、未然に防ぐために毎晩必死に空を監視し続けます。
さらにバビロニアが栄えたチグリス·ユーフラテス川流域は、川の氾濫の時期が非常に不規則で激しいというリスクを抱えていました。
洪水の時期を予測できなければ、人々の暮らしや国の運営に深刻な影響が及んでしまいます。
そのため、彼らは長年の観測から、特定の星が特定の時刻に昇る時期と、川の水位が上がる時期が一致することを発見しました。

つまり、生き残るための正確なカレンダーを作るためにも、星の動きを知る必要があったのです。
こうした積み重ねが、後の天文学の発展に繋がっていきました。

始まりは天文学と占星術だった
古代バビロニアの人々が夜空を観察する行為が、後の天文学と占星術の始まりとなりました。
バビロニアの人々は、日食や月食を不吉な予兆と捉えていたため、長い年月をかけて毎日夜空を見上げ、星の動きを記録し続けます。
当時は望遠鏡などといったハイテクな装置はありません。肉眼で見られる7つの天体(太陽・月・5つの惑星)は、人々にとって特別な存在でした。
特に月の満ち欠けがおよそ7日ごとに変化することに結びついたため、「1週間=7日」というサイクルが生まれたと考えられています。

これらの長年の観測の努力により、それぞれの天体には異なる動きや周期があることが分かり、次第にある程度の予測ができるようになっていきました。
日々、地道に星の動きを記録する一方で、人々は星自体に意味を見いだします。
その意味とは、規則的に動く太陽や、月。それとは異なる動きをする5つの惑星(火星・水星・木星・金星・土星)は、地球の運命を支配する【神々の化身】という考え方です。
人々は7つの神々が決められた順番で、1時間ずつ交代しながら地球を支配すると考えました。
天体は神々の意志を映し、人間の運命や国の未来にも影響を与える存在だと信じられるようになっていきます。
7つの天体が順番に支配していき、7時間かけて1周すると、不思議なことに最初の順番に戻ります。この考え方が後に【七曜】へと結びつくのです。

曜日はこうして誕生した
ここからが、現在の曜日につながる最大の秘密です!
当時、人々は太陽・月・5つの惑星、合計7つの天体を神々の化身として考えていました。そして、それぞれの神が1時間ごとに交代で地上を支配するというルールを作ります。

しかし1日は24時間。神は7柱しかいません。
24時間を7柱で順番に担当させると、翌日の最初の1時間を担当する神は前日とは違う神になります。「その日の最初の1時間を担当した神」を代表とした結果、曜日の順番が生まれました。


この計算から生まれた並びが、現在も使われている「日・月・火・水・木・金・土」の曜日となります。
七曜は世界へ広がった。国ごとに変わる曜日の名前
ギリシャ・ローマ | 神話の神々と結びつく
曜日の名前は、古代バビロニアの占星術がギリシャに伝わり、その後ギリシャではギリシャ神話の神々に。古代ローマではローマ神話の神々に結びつけられました。
その背景には、「太陽・月・惑星は神々の化身である」という考え方があります。
古代の天動説では、地球の周りを回る星々の中で、太陽と月を含む7つの天体が曜日を支配していると信じてられていました。

この考え方がギリシャ・ローマへと伝わる過程で、各天体がそれぞれの神話の神と結びつきます。
特徴的なのは天体の色や動きがそれぞれの神様の性格や役割とぴったり重ねられたことです。国は違っても、世界の神々には驚くほど多くの共通点があります。
なおかつ本来の人間の生き方、生活はどこも同じようなもの。
人間は自然の脅威や恵みに畏怖の念を抱きながら「神」という存在を位置づける傾向があるため、似た特徴を持つ神々が存在するのも納得のいく話ですね。

北欧神話 | ラテン語の神々から英語の曜日が誕生した
北欧神話ではローマ神話の神々を、自分たちの神話に登場する神々へ置き換えて取り入れました。
現在の英語の曜日のうち(Tuesday〜Friday)は、ローマ神話の神と似た性質を持っ北欧神話の神に置き換えられています。

では、なぜローマ神話の神々を、そのまま使わなかったのでしょうか?
4〜5世紀頃、ローマ帝国の暦(七曜制)が北ヨーロッパのゲルマン民族(英語の祖先)に伝わりました。ゲルマン民族はラテン語の曜日名を聞いた際、自分達の馴染み深い神話に翻訳して取り入れたのです。
ただし、例外があります。北欧神話が使われているのは「火〜金」の4つだけです。
残りの3つは北欧神話には、対応する神がいませんでした。
そのため…
- 日曜日(Sunday):太陽(Sun)の日
- 月曜日(Monday):月(Moon)の日
- 土曜日(Saturday):ローマの神サトゥルヌス(Saturn)がそのまま残ったと言われています。
つまり、神様の名前は違っても、その役割が似ている神へ置き換えられたのです。
こうして、現在の英語の曜日名が生まれました。

中国 | 占星術の知識から陰陽五行へ
中国には、8世紀(唐の時代)にインドを経由して「七曜(しちよう)」の概念が伝わりました。天体の「日・月・火・水・木・金・土」をあてる七曜ですね。
それ以前の中国では、古くから10日を一区切りとする「旬(上旬・中旬・下旬)」という考え方が使われていました。
唐の時代、インドからやってきた高僧の不空(ふくう)が、『宿曜経(すくようきょう)』という占星術の経典を中国語に翻訳しました。これに七曜のシステムが書かれていたのです。

当時の中国には、万物は5つの元素からなるという【陰陽五行説】が深く根付いていました。
西洋から伝わった5つの惑星(火星・水星・木星・金星・土星)が、中国の五行(火・水・木・金・土)と数がぴったり一致したため、火曜や水曜といった曜日が作られたのです。

これらの西洋制度が導入されたことで、現在の1週間=7日のシステムが本格的に国民の生活に定着しました。
ですが現在の中国は「星期一(月曜日)」〜「星期日(日曜日)」という数字を用いた表現が一般的となっています。
中国の曜日はなぜ星期(シンチー)なのか?
なぜ中国では七曜ではなく、星期(xīngqī)という表記になったのかには、いくつかの理由が存在します。

星期の期は(期間、サイクル)という意味です。すなわち文字通りの意味で、星期は直訳すると『星が巡る周期』ということですね。
元々占星術の考え方が古くからあり、1週間(7日間)という新しい時間単位が入ってきた際、「7つの星が1巡する期間」という意味を込めて、この「星期」という言葉が作られました。
当時の中国も日本と同じように七曜の導入を考えていました。ただそこで問題が生じます。
中国語で発音すると、非常に発音しにくいという点です。
それでは生活に支障が出てしまいかねません。なので、1週間を「星期」と呼び、各日に数字を当てはめて「星期一、星期二……」と呼ぶシンプルなルールを作りました。
これが分かりやすかったため、一気に普及したと言われています。その他宗教的な理由などもあり、今の形になったのですね。
日本の曜日はどう生まれた?
日本では、平安時代初期(9世紀)に、弘法大師・空海が中国から『宿曜経』を持ち帰ったことで、七曜の考え方が伝わりました。
宿曜経は占星術の経典だったため、毎日の吉凶を占う道具として生活に溶け込んでいきます。

江戸時代までの日本には1週間や日曜日休みという概念はなく、全く異なるリズムで暮らしていました。
当時は旧暦の1ヶ月(約30日)を基準としていました。
毎月1と6がつく日(1日、6日、11日、16日、21日、26日)を休みにする【一六(いちろく)休み】が主流でした。(※月に約6日です)
明治5年(1872年)、日本は西洋に合わせるために太陽暦を導入します。ここで1週間という概念や日曜日休みの制度を初めて公式に取り入れることになります。
すでに日本人に馴染みがあった伝統的な「日月火水木金土」の言葉をそのままスライドさせてました。
こうして、古くから使われていた「日月火水木金土」は、正式な曜日名として今も受け継がれています。

つまり、日本の曜日は中国から伝わった七曜を受け継ぎ、西洋の暦と結び付くことで現在の形になったのです。
世界共通なのに日本だけ違う?各国の曜日を比べてみよう!
7日間の周期とその順番は世界共通ですが、曜日の呼び方は国や文化によって全く異なります。
そのため、日本だけが独特な名前を使っているように見えるから不思議です。
実は、日本が使用している「月〜日」という曜日名は世界的に見ると、古代の七曜の考え方を今も色濃く残している、世界でも珍しい例なのです。

他の国々では、神話の神へ置き換えたり、数字表記へ変えたりする中で、日本だけが古代西洋の天体の呼び名をそのまま使用しています。
他国とは違い、日本では大きな文化の断絶が少なく、平安時代から受け継がれてきた「月火水木金土日」という呼び名が現在まで残りました。
そのため、世界でも非常にユニークな形で世界共通の1週間を運用することになったのです。
曜日は文化の交差点だった
ここまでの歴史を振り返ると、普段何気なく使用している曜日は、過去の知識人たちの「努力の結晶」という一言では表せないほど、壮大な歴史でした。
望遠鏡がない中、肉眼で星空を見上げ続けるなんて人間の可能性にはロマンを感じてしまいます。
当時の人々が国家のために積み重ねてきた知識や努力から、私たちが学ぶものはあまりに大きいと感じられます。
現在にまで語り継がれてきた曜日は1つの文化から生まれたものではありません。
古代バビロニアで生まれた七曜は、ローマや中国という、いくつもの国と文化を経て、日本へ伝わりました。

私たちが毎日何気なく口にしている曜日。
その名前の裏には、古代バビロニアから中国、日本へと受け継がれてきた数千年の歴史が込められていたのです。
明日、カレンダーを見たとき、いつもより少しだけ曜日が特別に見えるかもしれませんね。



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