中部地方で親しまれている郷土料理の一つが五平餅です。地域によって形やタレに違いはあるものの、使用される材料や作り方は似た傾向にあります。
何気なく食べている五平餅ですが、その名前の由来って何でしょうか?人の名前?何かのモチーフ?
実は五平餅は、ただの郷土料理ではありません。山仕事や山の神様への信仰とも深く結びついた食文化だったのです。
五平餅の発祥と歴史、名前と形の由来について解説していきます。
五平餅の発祥はどこ?
五平餅は、愛知県・岐阜県・長野県を中心とした中部地方の山間部で受け継がれてきた郷土料理で、富山県や山梨県の一部でも、地域に根付いた郷土料理として親しまれています。

そもそも”郷土料理”とは、【その地域の気候と歴史を背景に、生活に合わせて作られ受け継がれてきた料理】を指します。
五平餅が中部地方で生まれた背景には、山の仕事の携帯食、山の神を祀る信仰、中山道の存在があると言われています。
それぞれが五平餅とどのように関わっているのでしょうか。順番に見ていきます。
山間部で働く人達の携帯食
中部地方の山間部では、木こりや山仕事に従事する人々が多く暮らしていました。その彼らが、木の切れ端にご飯を巻き付けて、炭火で焼き、味噌を付けて食べていたのが始まりとされています。
串に刺したご飯は食べやすく、味噌は保存性を高める役割もあったと考えられています。

当時はもち米が貴重だったため、主に祭りや祝い事に使われることが多かったとされています。一方、五平餅には日常的に手に入りやすいうるち米が使われてきました。
地理的にも平地が少なかったため、お米は大変貴重だったそうです。そのため、うるち米をすりつぶすことで、お餅のようにして食べられていたと考えられています。

うるち米をすりつぶしてまとめることで、串に付けやすくなり、山仕事の合間でも食べやすい形になったそうです。
この頃はまだ料理としての名前はなく、あくまで山で働く人たちの携帯食でした。
山の神様への自然崇拝
昔の日本には、山そのものを神様として敬い、崇拝する自然信仰が存在していました。山は人の暮らす場所とは異なる「神様の領域」であり、畏敬の対象だったのです。
そのためか、昔の人たちにとって山は異界そのものでした。

ですが、ここで疑問が生まれます。山には簡単に入れないはずなのに、山で仕事をしていたのか?という点です。
平地の少ない山間部。当時の人たちは生きるために山へ入るわけですが、その前には必ず山の神様への祈りと供え物を捧げていました。
神聖な山の恵みをいただくので、常に山の神様への感謝を忘れずに畏敬の気持ちを表していたとされています。

こうした山への畏敬や感謝の気持ちから、山仕事の安全や豊かな実りを願い、五平餅が供えられるようになったと考えられています。
中山道の存在
中部地方は江戸と京都を結ぶ宿場町として発展してきました。中山道を行き交う人や物資によって、調味料や食文化が各地へ広まっていったと考えられています。

山間部では手に入りにくい調味料も多かったため、調味料の流通に伴い、地域ごとに入手しやすい材料を使った独自のタレが生まれていきました。
そして宿場町や街道沿いで親しまれる中で、五平餅は各地へ広まっていったと考えられています。
現在では「中部地方=味噌文化」というイメージがありますが、当時の山間部では調味料そのものが貴重な存在だったのですね。

五平餅の名前の由来
五平餅の名前の由来にはいくつかの説があります。
代表的なのは、神事で使われる「御幣(ごへい)」に由来する説と、人の名前に由来する説です。一つずつ解説していきましょう。
神聖な道具「御幣」に似ていた説
山仕事をする際に、山の神へ祈りを捧げ、供え物をしていたとお話しました。その捧げ物はなんでも良いというわけではありませんでした。
神事を行う際に、神社の神主が振る道具(木の棒にギザギザした白い紙がぶら下がっているもの)を御幣(ごへい)と呼びます。

この形がご飯を巻き付けた状態と似ていたことから「御幣餅」と呼ばれるようになり、徐々に変化して「五平餅」になっていきました。
もともと御幣には、神様が乗り移る依代という意味がり、「幣」という漢字には、神へ捧げる財物という意味もあります。
神聖な道具である御幣を振ることで、厄払いの効果があることが期待されると言われています。
昔の人は全ての物事に意味を見出していました。形から連想された食べ物にこれだけの意味があることをどれだけ予想できたでしょうか?
このことからも分かるように、昔の人々の生活が、いかに信仰と結びついていたのかが理解できたと思います。
人物名から付いた説
名前の漢字から推測するように、五平さん、五兵衞さんと複数人の説があるようです。
- 長野県で宮大工をしていた五平さんが作った説
- 岐阜県で木こりをしていた五平さんが作った説
- 愛知県名古屋市の宿場町にいたとされている五兵衞さんがひらめいた説
どの説が正しいのかは現在でもはっきりしていません。たた、五平餅自体に意味があったことはお分かりいただけたと思います。

五平餅の歴史
五平餅が作られ始めた正確な時期は分かっていません。しかし、農林水産省のデータによれば、江戸時代中期にはすでに食べられていたそうです。
この頃は山仕事の人たちの携帯食として食べられていたとされています。江戸時代後期になると、山の安全を祈るお祭り(山の構)に神様への供物として捧げられるようになります。

山の講(やまのこう)とは、山仕事をする人たちが山の神様を祀り、山での安全と豊かな恵みへの感謝を祈る伝統的な行事であり、集まりのことを指します。
そして時代は流れ、昭和から現代に至って、五平餅は【各地域の郷土料理】として地域の人たちに親しまれる料理となっていきました。
こうした背景から、五平餅は山で働く人々の暮らしに欠かせない存在となり、やがて地域を代表する郷土料理へと受け継がれていったと考えられます。

まとめ
こうして受け継がれてきた五平餅は、時代とともに姿を変えながら各地域へ広がっていきました。
かつては山で働く人々の携帯食や神様への供物だった五平餅も、今では地域の人々に愛される故郷の味として受け継がれています。
形やタレに違いはあっても、その背景には自然への感謝や先人たちの知恵が息づいています。
中部地方を訪れた際は、それぞれの地域ならではの五平餅を味わいながら、その歴史にも思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。

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