
もうすぐ七夕だね〜。短冊に願い事、書いたよ!

ワビスケは何を書いたの?

それは内緒🤭……ねえ、シトリン。短冊って、どうして色が違うんだろう?

そういえば、色によって意味が違うみたいだよ。ちょっと調べてみようか。

うん! どんな意味があるのか知りたい!
学校や街中でも、あちらこちらに笹が飾られ、短冊に願い事を書いて吊るす光景を目にします。子どもの頃から、そういうものだと認識しているので、なんら不思議にも思わないかもしれません。
ただ、ワビスケの一言で、ふと疑問が浮かびました。『そもそも、なんで星に願うんだろう?短冊の色の意味って?』私は一度気になると、調べずにはいられない性分です。
今回は、七夕がどういった経緯で生まれたのか、なぜ短冊なのかを、一つ一つ紐解いていきます。
実際に調べてみると、七夕は元々中国から伝わった行事と、日本の風習が合わさってできたものだと分かりました。
星に願いを託す風習も日本に伝わりましたが、願いを託す形は、歴史の中で少しずつ変化していったのでした。
そして、私たちが今使っている短冊にも、色によってそれぞれ意味があります。知れば知るほど七夕は奥が深く、人々の生活に密着してきた行事なのだと感じました。
短冊の話に入る前に、まずは七夕の起源がどこから始まったのかを見ていきましょう。
七夕のルーツは中国の祭事から始まった
乞巧奠(きっこうてん・きこうでん)とは、中国から日本に伝わった行事です。【巧みな技を乞う】という意味があり、技芸の上達を願う行事でした。
どういった経緯で日本に伝わったのか?
乞巧奠が伝わったのは奈良時代だと言われています。歴史的には日本が中国へ遣唐使を派遣していた時代ですね。
乞巧奠という言葉自体は知りませんでしたが、七夕のルーツにつながる行事が日本に伝わったと知って、私はどこか納得感がありました。
建物だけじゃなく、奈良時代の着物もどこか中国風ですからね。それほど中国から受けた文化的な影響は大きかったのでしょう。

一方で日本には元々、棚機津女(たなばたつめ)信仰がありました。
漢字からも連想できますが、織は機織り機、津女は女性を指します。日本の旧暦7月6日~7月7日の前夜にかけて、天から降りてくる水の神様を迎えます。
水辺に棚という神聖な場所を設け、その中で乙女が神様に捧げる織物を織っていました。
乙女が織物を織って神様に捧げることで、村の厄災を払うとされていたので、私は、機織りの乙女には腕前の上手な女性が選ばれていたのかもしれないと推測しました。
ここで気づくのは、中国の乞巧奠と、日本の棚機津女には共通点があることです。どちらも機織りとそれを織る女性が登場します。
中国から伝わった乞巧奠と、日本に元々あった棚機津女の信仰などが結びつき、現在の七夕に繋がっていったと考えられています。

え、そうなの?知らなかった!

うん、七夕の行事ってそうして生まれたんだよ。
なぜ2つの行事が合わさったのか気になるよね
技芸上達を願う星祭りと、神様に捧げる機織り女性がどういった経緯で1つになったのかを探っていきましょう。
なぜ織姫に願い事をしたのか?
七夕伝説において、織姫星は裁縫や機織りの技術に優れた女性として語られています。
中国から伝わった乞巧奠も、元々は女性達が裁縫や機織りなどの技巧の上達を願う星祭りでした。
では、なぜ女性達は織姫星に願いを託したのでしょうか?
調べてみると、当時の女性にとって、裁縫や機織りは今の私たちが考える趣味のようなものではなかったようです。
衣服を作ることなど、暮らしに必要な仕事と深く関わるものだったと考えると、技術が上達することは生活そのものにも関わる、大切なことだったのではないでしょうか?
そう考えると、優れた技術を持つ織姫星に『あやかりたい』と願う気持ちも、なんとなく分かるような気がします。
現代でも、料理が上手な人や、その道のプロを見ると『自分もこんなふうにできたらいいな』と思うことがありますよね。
昔の人も、秀でた能力を持つ存在にあやかりたいという気持ちは、同じだったのかもしれません。

そして、ここで前の章に出てきた日本の棚機津女を思い出します。棚機津女も、神様に捧げる織物を織る女性でした。
神様に捧げるものを作るのですから、私には「誰でもいい」というわけではなく、機織りに長けた女性が選ばれていたのではないかと思えます。
- 中国では、機織りなどの技巧の上達を織姫星に願う。
- 日本では、神様に捧げる織物を機織りの女性が織る。
こうして見ると、どちらにも【機織り】と【優れた技術を持つ女性】という共通点があります。
異なる場所で生まれた二つの風習が、長い時間の中で結びついていったのも、どこか自然な流れだったのかもしれません。
こうして見ていくと、なぜ織姫星に願うのか、その意味が少し見えてきます。
ただ「願い事をする」というより、「織姫のように、技術が上達しますように」そんな願いが込められていたのかもしれないですね。

そうなんだ!
それで、短冊はどこから来たの?

うん、気になるよね。それをこれから話していくよ。
次の章でやっと短冊に触れるわけですが、まずは短冊の五色の意味と、乞巧奠の飾り糸との繋がり。そして中国での祈り方を見ていきましょう。
陰陽五行説と五色の意味
七夕の短冊に使われる五色(青・赤・黄・白・黒)は、中国の陰陽五行説に由来しています。
陰陽五行説とは、木・火・土・金・水という5つの要素によって世界が成り立っていると考える思想です。

五色はそれぞれの要素を表しており、自然や世界の秩序と深く結び付けられていました。
色に合わせて願い事を書く風習があったわけですが、色に意味を持たせる考えは縁起担ぎのように感じられます。乞巧奠で五色の飾り糸が使われていたのも、こうした考え方が背景にあったのでしょう。
ここまで調べてみたことを踏まえて私が感じたことを述べさせてください。
正直なところ、私は陰陽五行に由来していると聞いてもよく分かっていませんでした。あまりピンとこなかったです。
言霊信仰という考え方も重なると、願い事を書くという行為にも、特別な意味があったのではないでしょうか。
だとしたら、色と言葉の組み合わせが相乗効果を生むんだと思いました。
逆を言えば、色の意味と真逆のことを書いたら、相殺されて願い事が消滅するのか?なんて考えてしまいました(笑)しょうもないですね…
元々は技芸の上達を願った乞巧奠に比べて、現代の七夕は個人が自由に願い事を書く風習へ変わりますが、これについては否定はしません。全ての人が機織りをするわけではありませんし、人間誰しもそれぞれ願いの1つや2つはあるものです。
だが、しかしです!そもそも織姫は裁縫や機織りの達人、すなわちプロです。
その織姫に『お金持ちになりたい』『〇〇になりたい』と願ってたところで『いや、知らんがな』ってなりそうじゃないですか?もう、本末転倒です(笑)
ここまで、なんやかんやと好き勝手話していますが、結局ここの章で私が読者へ伝えたいことは何かというと、【行事も短冊も、最初はその地に暮らす人達の想いから生まれたんだよ】ってことです。
短冊を一言で表すと、【その人の願望であり、将来像の予言宣告】だと思いました。声にしたことが現実になると考えられてきたとしても、願うだけでは実現しません。
だって裁縫や機織りって、やっていくうちに上手くなるものですよね。それは手芸に限ったことではありません。
『織姫のように上手になりたい。そのために努力します。だから見ててください』的なニュアンスも含まれていたのではないでしょうか?要は後押ししてほしいということです。
ただこれはあくまで私の意見なので、事実とは混同しないでくださいね。
以上が私の感想と考察になります。
なぜ7月7日なのか?
(※ダジャレではありません)
日付に注目してみると面白いことが分かりました。まず、乞巧奠も棚機津女も同じ旧暦7月7日の夜に執り行われるということです。
中国の陰陽五行が意味するものは色だけではありません。日付そのものにも意味が込められていました。
陰陽五行の考え方から、奇数は縁起の良い数字とされ、陽数とも呼ばれます。さらに数字が重なる日を特別とした五節句となるため、その一つが7月7日でした。
さらに調べていくと、7月7日にそれぞれの行事が行われていた背景には、どちらも縁起の良い日とされていたことが関係しているようです。
日本でも奇数は縁起が良く、めでたい数字と考えられてきました。
その理由の一つとして、2で割り切れないことから「縁が切れない」「途切れない」という意味に捉えられてきたともいわれています。
そういえば、結婚式のお祝儀やお葬式の香典でも、金額の数字を気にしますよね。日本人が昔から数字に意味を持たせていたことを考えると、なるほどなと思いました。

…そんなにたくさんの意味があったんだ!

そうだよ。知ってみると面白いでしょ?それと、なんで短冊を笹に飾ると思う?

言われてみればそうだね。なんでだろ?
そうです。短冊だけでは願いは届きません。短冊を飾るには笹が必要です。
※地方によっては笹でない場合もありますが、ここでは一般的な笹で解説していきますね。
では、なぜ笹なのか?って考えたことありますか?私は正直言ってありません(笑)
この記事を調べて書いていくうちに疑問が浮かんだからです。
次に笹に飾る理由も探ってみましょう。
なぜ笹(竹)に吊るすのか?
竹や笹が縁起の良い植物だということは、なんとなく知っている方も多いかもしれません。
ですが、なぜ七夕で笹が使われるのかを調べていくと、そこには古代の人々の深い知恵と祈りが込められていました。
竹は、冬でも青々とした葉を保ち、天に向かって真っ直ぐ伸びていきます。
現代の私たちから見ても、その成長スピードや力強さには驚かされますが、昔の人々にとっては、まさに「特別な生命力が宿る植物」として映ったのでしょう。
強いパワーゆえに、邪気を払い災いを遠ざける力があると信じられていました。
そして、もう一つ重要なのが「神様とのつながり」です。
昔の日本では、空に向かって一直線に伸びる竹は、神様が天から降りてくるときの目印(依代・よりしろ)になると考えられていました。

ここで私はピンと来ました。
天が神様のいる場所だとしたら、遥か遠くにいる神様や織姫様に、自分の願い事を見つけてもらうためにも、強力な受信アンテナが必要だったわけです。
しかも、何でもいいわけではありません。
強い生命力(パワー)を持ち、天まで届きそうな真っ直ぐな竹だからこそ、『ここに願い事があります!どうか届けてください!』という人々の切実な祈りを託す役割として選ばれたのではないでしょうか。
そう考えると、笹飾りは単なるイベントのデコレーションではなく、神様と私たちを繋ぐための【聖なるアンテナ設置作業】だったのかもしれませんね。

なるほどね!笹は願いを天に届けるために必要だったんだ!

それじゃあ、短冊はメッセージカードってことかな。
時代によって変化した短冊
星に祈る乞巧奠が日本へ伝わった後、七夕で願いを託すものは、時代が進むにつれて、五色の飾り糸から梶の葉、そして紙の短冊へと姿を変えていきました。
短冊の形が変わっていく歴史を辿ってみると、当時の人たちがどんな想いで七夕を楽しんでいたのかが見えてきます。
どんな風に今の短冊になっていったのかを順番に見ていきましょう。
葉っぱから短冊へ
乞巧奠では織姫の裁縫技術にあやかるために五色の飾り糸を供えていました。ここまでは前の章でお話しましたね。その後、飾り糸は梶の葉へと変化しています。
糸から葉っぱ?梶の葉って何?聞いたことがないし、文字って書けるの?って思ってしまいました。
梶の葉が使われた理由として、神聖な葉とされていたことや、表面と裏面に細かな毛があり、墨が付きやすく文字を書きやすかったことなどが挙げられています。

平安時代の拾遺和歌集にも、七夕の夜に梶の葉に和歌を書く様子が残されています。神聖な上に文字まで書けるなんて超合理的です。
今のように紙が身近なものではなかった時代ですから、自然のものを使っていたのも不思議ではないですよね。
室町時代に入ると、書道や学問が広がっていきました。それに伴い上達したいと思うのが人間です。
この頃から時代に沿って願い事が変わっていき、梶の葉から紙の短冊が誕生したわけですが、室町時代以降の短冊の変遷が面白いと感じました。
形がまるっと変わったものの、七夕が庶民へ広まるのはまだまだ先の話で、七夕行事を楽しめたのは一部の有力者だけだったそうです。
乞巧奠も始めは貴族だけで楽しむものだったので、身分差が生じるのは仕方ないのもしれません。文化の流れはどれも同じような流れがある気がします。
江戸時代になると、寺子屋でも読み書きができるようになり、和紙の生産も相まって七夕は庶民へと広まっていきました。

時は過ぎ、明治時代には、いつしか個人の願い事へ変わっていきます。
明治時代と言えば、外国の文化が入ってきて時代が移り変わる華やかなイメージがあります。和装から洋装へ変わり、建物だけでなく、電気が通り生活が大きく変わったことでしょう。
さらに時代が進むにつれて暮らしが便利になり、人生の選択肢が増えたことも、個人の願い事へと変わっていった理由の一つなのかもしれません。
ただ一つだけ変わらないものが短冊の五色の意味です。短冊の核の部分と言ってもいいでしょう。
日本文化の良いところは、元の文化を残しつつも独自の文化に進化させることだと思います。短冊の意味を残したのも、元の文化に対する敬意やリスペクトと感じられます。
短冊はなぜ今も細長いままなのか?
改めて短冊の時代の流れと変化をおさらいしましょう。
奈良時代…五色の飾り糸
↓
室町時代…和歌を書くための短冊が誕生(上流階級のみの文化)
↓
江戸時代…和紙の生産が広がり、庶民へ浸透
↓
明治時代…短冊の形はそのままに、願いは個人のものへと変化
時代と共に短冊の形が変化していったのはお分かりいただけましたね。
ふと疑問に思ったのが、現代においても、なぜ短冊はあんなに細長いままなのかという点です。『どうせ願い事を書くなら、もっと大きくても良いのでは?』
例えばA4サイズやA3サイズなら、願い事もたくさん書けます。実用面なのか、形や大きさそのものにも違和感がありました。そんな漠然とした疑問です。
ここで視点を変えて、物理的なお話をしましょう。
いきなりぶっ飛んだ事実をお伝えすると、地球から織姫星(ベガ)までは、光の速さで進んでも約25光年。距離にすると約236兆kmかかります。
伝説や2次元の世界からはかけ離れますが、数字で表すと、とんでもない距離なわけですよ。
この数字を知ってどう感じましたか?私は一言。『おい、マジか‼️』
そんなこと考えたらロマンもへったくれもないんですけどね(笑)
その距離を考えると、あの細い短冊では豆字どころか、ほぼ読めません!
正直くだらない疑問と思われるかもしれませんが、ここを掘り下げたら、短冊自体の本質が何かが分かるような気がしました。
そこで短冊の大きさについて調べてみると、『なるほど!そういうことなのか!』と納得できたんです。
実は短冊が細長い形のままなのには、とても合理的で、深い理由がありました。
1つ目の理由は、もともと五色の飾り糸を模した形だったことです。
奈良時代では五色の飾り糸を飾り、時代が進むにつれて、願いを託すものも変化していきました。紙の短冊という形は室町時代以降に定着していきます。当時は大きな紙は大変貴重だったそうです。
手作業で紙を作る時代ですから、作れる枚数にも限りがあったと思います。さらに高級品なら無駄にはできないですよね。
そこで多くの人が使えるように、紙を分けて使う工夫がされていきました。
短冊の標準サイズは「縦1尺2寸(約36cm)×横約6cm」になります。
もともとの和紙のサイズが全懐紙(ぜんかいし)というもので、約36cm×48cmと大きめの紙でした。これを縦にちょうど8等分に切ると、あの細長い短冊になるわけです!

これなら紙を大切に使う工夫も感じられますよね。昔の人って賢いわ〜と感心してしまいました。
2つめの理由は、和歌を縦2行で書くのにちょうど良かった点です。
元々短冊は和歌や句を詠んで書くための道具だったので、縦2行で短歌を書くのに適していたからと聞くと、どうでしょう?
なんとなく、『あ〜、そういうことか』と納得できると思います。言われてみれば、笹に飾るものとして、このくらいの大きさがちょうどいいんですよね。
3つ目は、細長い形なら持ち運びやすく、掛けやすいという実用面です。
どこにでも持ち運びができて、すっと取り出せるのは誰にとっても便利ですよね。
江戸時代から現代にかけて、世の中は本当に便利になりました。とはいえ、本質的にエコ思想は変わっていないように思われます。
- 江戸時代=貴重だったから無駄使いしない
- 現代=資源を無駄使いしない
何を無駄にしたくないかは時代によって変わっても、限られたものを大切に使う考え方には、どこか共通するものがある気がします。なおかつ、皆が平等に楽しむことができる。
現代みたいにデザインコンセプトを考えていたわけじゃなくても、使う場所・材料・目的に合わせて形が決まっていったものがたくさんありますから。
短冊って、織姫に願いを届けてもらうためのハガキみたいだなと思いました。ハガキといっても切手なんか貼っていません。笹がポストで、配達員は風。(さっきまで笹はアンテナでしたね)
大きいと風になびきにくいし、笹に吊るしても落ちてしまいます。せっかく書いた願い事なのに、笹が折れたり落ちたりしては元も子もないですから。
気持ちだけではなく、物理的にも届ける仕組みがあったということなんです。
笹流しの風習
七夕の笹は飾って終わりではなく、笹も短冊も川へ流す笹流しで締めくくられていました。
現代人からすると驚きです。環境的にどうなの!?って思ってしまいます。
ここまでお話してきたように、笹流しにもちゃんとした意味があることが分かりました。
水が願い事を届けてくれるだけでなく、自分の穢れや災いを一緒に流して清める意味もあったので、そこにも願いが込められていたということです。

水には穢れを洗い流す力があるとは、なんとも日本文化らしいと感じます。さらに7月はお盆の時期とも重なるので、先祖へ願いを届ける意味もあったそうです。
七夕の短冊や笹に穢れなんてついてるの?と思ってしまいましたが、願う形としてなら納得がいきました。
笹を流す行為自体も、昔の人にとっては信仰に基づいた意味のあるものだったのでしょうね。それも時代なのだと思います。
現在では環境保護の観点から行われなくなりましたが、七夕が願い事を書くだけの行事ではなく、願いを自然へ返す儀式だったことが分かります。
現代では燃やす風習へ
では、川へ流さなくなった短冊はどうなったのでしょうか。
現在では、集められた短冊や笹をお焚き上げとして燃やす風習へと変わっていきました。
煙が天へ昇ることで願い事が神様へ届くと信じられてきたからです。お焚き上げには感謝の意味も込められています。

笹流しに対してこっちの方が現代向きだと思いました。理にかなっているし、昔の考えが残っていると思います。
願い事を書いた短冊をそのまま捨てるのではなく、一度神様へ届けたものとして丁寧に送り返すという考え方は、笹流しと同じですね。
どんな形であれ、最後には神様や自然へ返す考え方から、昔の人が物を大切にしてきたことが伝わってきます。
その反面、現在では家庭ごみとして処分することも珍しくありません。ただ、どう処分するかは気持ちの問題だと思います。ごみとして捨てにくい気持ちも分かりますし、私なら躊躇します。
とはいっても、そのままのわけにはいきませんよね。神社でもらうお守りだって、最後にはお焚き上げするわけです。総合的に見て、気持ちの区切りのつくお焚き上げは理想的だと思いました。
願いを笹に託し、最後は天へ返す流れを知ると、長い歴史の中で受け継がれてきた信仰の形だったことが見えてきます。
それを引き継ぐ現代ですが、逆に七夕がなかったらどうなってたのか?なんて想像がつきません。年間行事の一つである七夕は、それだけ私たちの生活に馴染んでいるんだなって感じました。
葉っぱから始まった短冊は、姿や役割を変えながらも、今もなお人々の願いを運び続けているのです。

まとめ
七夕の短冊は、単なる願い事を書くための紙ではありませんでした。
そのルーツを辿ると、中国から伝わった乞巧奠や陰陽五行説、日本古来の信仰など、さまざまな文化や思想が重なり合い、今の七夕へと形を変えてきたことが分かります。
願いを託すものも、五色の飾り糸から梶の葉、そして紙の短冊へと姿を変えてきました。それでも、願いを託すという人々の想いは、今も変わらず受け継がれています。
そして今回調べてみて驚いたのは、短冊の色や笹に飾る理由だけでなく、あの細長い形にまで意味があったことです。
普段何気なく見ている七夕飾りですが、その背景には長い歴史と先人たちの知恵が詰まっていました。
今年短冊を書く機会があれば、ぜひその由来にも少しだけ思いを巡らせてみてください。
もしかすると、いつもより願い事を書く時間が、少しだけ特別なものに感じられるかもしれません。
そして最後の最後で、もう一つ思ったことを書かせてください。
ここまで短冊についてお話ししてきましたが、これからの時代はペーパーレスですよね。
何が言いたいかというと、もし完全なペーパーレスの時代になったら、短冊もデジタル化するんじゃないかということです。
タブレットに願い事を書いて、送信ボタンを押して終了。そんな未来が来るのでしょうか?
それはそれで、ちょっと寂しいと感じてしまいます(完全な私の妄想です笑)
もしそうなったら……また梶の葉に戻るかもしれません。原点回帰ってやつですね(笑)
《関連記事》
👉合わせて読むと、七夕の見方が変わるかもしれません🐾

👉日本の七夕は多種多様!その土地ならではの七夕が見られます🐾

👉七夕とそうめには深い関係がありました。気になる方はこちらもどうぞ🐾



コメント