稲荷神社は狐を祀っていなかった?稲荷の意味と狐が神使になった理由

豊川稲荷の狐像 イメージ 文化探訪
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稲荷神社といえば、赤い鳥居と狐の像を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。

そのため、「稲荷神社は狐を祀る神社」と思われがちですが、実はそうではありません。

狐は神様ではなく、神様のお使いでした。では、なぜ狐が神様のお使いになったのでしょうか。

稲荷という名前の意味や、狐との意外な関係、さらには油揚げを供える理由まで、古くから受け継がれてきた信仰の背景を文化探訪していきます。

稲荷神社の狐像 イメージ
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稲荷とはどんな神様?信仰された時代背景

【稲荷】と聞くと、多くの人は神社や狐を思い浮かべるかもしれません。しかし、本来の稲荷とは狐ではなく、五穀豊穣を司る神様への信仰そのものを指します。

では、なぜ狐が稲荷神社の象徴となり、全国に数多くの稲荷神社が建てられるようになったのでしょうか。

その名前に込められた意味を辿っていくと、人々が自然の恵みに感謝し、豊かな実りを願ってきた信仰の姿が見えてきます。

稲荷の意味

稲荷の語源は、神様が植えた稲が豊かに実ったことを意味する【稲生り(いねなり)】が変化したものと言われています。

稲 イメージ
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稲荷の名前の由来には、古くから伝わる一つの逸話にあります。

山城国風土記によると、秦氏の一族である伊呂具秦公(いろぐのはたのきみ)が餅を的にして弓を放ったところ、その餅は白い鳥となって山へ飛び去りました。やがて、その地には稲が実り、人々は「稲が生まれた奇跡の場所」として大切にするようになります。

稲が実る奇跡を目の当たりにした人々は、その恵みに感謝し、この地に神社を建てました。

そして最初にお祀りした神様こそが、食べ物と五穀豊穣を司る宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)という神様だったのです。

そのため、お稲荷さんとはこの神様のことを指すことになります。

宇迦之御魂神(うかみのみたまのかみ)

宇迦之御魂神はお米や食物、生命の根源を司る神様で、古事記によれば、有名な神様「スサノオノミコト」の子供として登場します。

名前に含まれる【ウカ】とは、古い日本語で「食物(特に穀物)」を意味しており、文字通りお米の魂をもつ神様です。

結論から言うと、全国の稲荷神社の御祭神は、宇迦之御魂神だけをお祀りしているわけではありません。代表的なのは…

  • 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
  • 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
  • 保食神(うけもちのかみ)
  • 豊受大神(とようけのおおかみ)など。

さらに伏見稲荷大社は五柱の神様をお祀りしているため、その中心となるのが宇迦之御魂神となります。

伏見稲荷大社 イメージ
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五穀豊穣から商売繁盛へと広がった理由

宇迦之御魂神は豊作の神様でしたが、時代とともにご利益も変化していきました。転換期となったのは江戸時代です。

日本の中心産業が農業から商業へと変わった時代でした。この時代のお金の基準は米の収穫量(石高)なので、お米がたくさん穫れることは、経済が潤うという意味に変化していきます。

シトリン
シトリン

さらに縁起担ぎも人々の間に広まっていきました。稲が豊かに実る【稲生り】と、商売が成功する【成る】を結び付けたことで、江戸の商人から愛されるようなりました。

そのため、江戸の商人や大名は自身の屋敷内にお稲荷さんを祀るようになります。これにより商売繁盛の神様としてのイメージが全国に浸透していきました。

米俵 イメージ
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稲荷神社とは?規模とご利益

全国にある稲荷神社

日本全国には約3万〜3万2千社あるといわれており、信仰されている神社の中では、日本で最も数の多い神社です。全国に約8万社ある神社のうち、およそ4割が稲荷神社という計算になります。

では、なぜこれほどまでに全国へ広がったのでしょうか。その理由は、江戸時代に起きた「お稲荷さん信仰」の広がりにありました。

総本宮である京都の伏見稲荷大社から全国各地へ御分霊を迎える稲荷勧請(いなりかんじょう)が盛んに行われ、それぞれの土地で新たな稲荷神社が建立されていったのです。

また、稲荷神は特定の場所に限らず祀ることができたため、町や村はもちろん、商家や屋敷の敷地内にも祀られるようになり、人々にとって身近な神様として広く親しまれていきました。

鎌倉 佐助稲荷神社 イメージ
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総本宮が京都にあるのは神様が降りた地だから

全国に数多くある稲荷神社ですが、その総本宮は京都にあります。

その理由は、奈良時代に神様が降臨した始まりの地と伝えられているからです。当時の伏見周辺で権力を持っていた秦氏(はたうじ)の祖(秦伊梠具)が社を建てたのが全ての始まりでした。

神社ができてから約80年後、日本の首都が京都の平安京に移りました。伏見稲荷大社は都の南の玄関口に位置していたため、朝廷や天皇から国と都を守る重要な神社として手厚く保護されるようになります。

こうして伏見稲荷大社は、全国の稲荷信仰の中心として現在まで受け継がれていったのです。

伏見稲荷大社 イメージ
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稲荷信仰のご利益一覧

ご利益詳細
五穀豊穣穀物の豊かな実り·農業の発展
商売繁盛ビジネスの成功·千客万来
家内安全家族の健康と家庭円満
諸産業興隆あらゆる産業の発展
芸能上達芸事の向上

先ほど、稲荷神には商売繁盛のご利益があるとお話しました。

一見すると、五穀豊穣と商売繁盛は別のご利益のようにも思えます。しかし、昔の人々にとって「食」は暮らしの土台そのものでした。

豊かな実りがあれば人々の生活は安定し、農業だけでなく商業や産業も発展していきます。

シトリン
シトリン

稲荷神が幅広いご利益を持つとされるのは、食の恵みがあらゆる繁栄の源であると考えられてきたからなのかもしれません。

なお、お祀りする神様や地域の信仰によって、ご利益の内容には違いがあります。こちらでは一般的な稲荷信仰のご利益としてご紹介しました。

ここまで稲荷の意味や神様について見てきました。では、多くの人が「稲荷=狐」と思うようになったのはなぜなのでしょうか。

実は、狐は神様ではありません。あくまでも神様のお使いとして、人々から大切にされてきた存在でした。


お稲荷さん(神様)と狐の関係

稲荷神がお祀りされているのに対し、狐は神様のお使い(神使・眷属)にあたります。

狐が神使として位置づけられた理由は、狐の習性になるものでした。

農家にとって特別な存在

春は田植えの時期で、ちょうどこの時期は山にいた狐が里に降りて姿を現します。

苗がすくすく育ち、秋になる頃には黄金色に実った稲穂となりますが、それをかじったり食い荒らしたのがネズミでした。

そのネズミを好物とするのが狐です。狐がネズミを狩ってくれる姿を見た農家の人達は『大切なお米を守ってくれるありがたい存在』に映ったため、狐に感謝することで神格化されていきました。

そして冬になり、お米の収穫が終わると、狐はまた山へ戻っていくのです。この様子を見た人々は『山の神様が狐の姿となって里へ降りてきた』と信じるようになりました。

狐 イメージ
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狐にとっては好物のネズミにありつけ、農家にとっては稲穂とお米を守ってくれる。

お互いにとって都合の良い関係だったことから、信仰深い農家の人達から見た狐は【神様の使い】と思っても不思議ではないでしょう。

その光景が稲荷信仰と結びついたのは極自然なことだったと思われます。

神社の狐が白い理由

稲荷神社で見かける狐の石像(狛狐)は、白狐という白い狐です。

これは普通の狐ではなく、人間の目に見えない霊獣とされており、神様に仕える清らかな存在を表すため、白狐の姿で表現されるようになったのです。

豊川稲荷の狐像 イメージ
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お稲荷さんに油揚げをお供えする理由

お稲荷さんといえば油揚げがイメージされます。油揚げをお供えするようになったのも、狐の習性が関係していました。

そもそもなぜ油揚げなのか?お供えするようになった経由を順番に紐解いていきましょう。

油で揚げていたのは、ネズミの肉だった

狐の好物はネズミです。そのため農家の人々は、田んぼを荒らすネズミを退治してくれる狐へ感謝を込め、好物を供えたことが始まりという説があります。

当時はネズミの肉を油で揚げて供えていたとも伝えられており、これが「揚げ物を供える」文化のルーツになったと考えられています。

神仏習合による殺生禁断

神仏習合が広まると、稲荷神は仏教の女神である荼枳尼天(だきにてん)と習合されるようになります。

仏教には殺生を戒める教えがあり、生き物を殺生してはいけない戒律があったため、ネズミの肉をお供えすることが出来なくなってしまいした。

これでは神様へお供えができません。その代わりに供えられるようになったのが油揚げだともいわれています。

大豆の油揚げは代用品だった

肉の変わりに使用されたのが油揚げだったわけですが、なぜ油揚げだったのでしょうか?

  • 油で揚げることで、狐が好む香りが再現可能
  • きつね色に揚がった油揚げが狐の毛色に似ていた=神聖な供物にぴったりだった。というわけです。
油揚げ イメージ
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ネズミを揚げて供えたという説が由来だと考えるとは驚きです。わざわざ揚げなくてもいいのでは?と思ってしまいました。

なんとも想像しがたいですが、これにもちゃんと理由があったようです。油で揚げる方が匂いが強く、お供えの腐敗を防ぐ効果があるためでした。

シトリン
シトリン

神様へ供える食べ物は、できる限り丁寧に調理したものを捧げることが、敬意や感謝を表す形だったとも考えられていたからのですね。

いなり寿司の誕生

江戸時代後期、1830〜1840年代は天保の大飢饉などにより、人々の暮らしは厳しい時代を迎えていました。この時代に考案されたのがいなり寿司です。

狐の好物と見立てた油揚げを甘辛く煮立て、酢飯を詰め込んだ食べ物は、神様の恵みであるお米と、狐を象徴する油揚げを組み合わせたことで、【究極の縁起物】として江戸中に広がりました。

いなり寿司(俵型)
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実はいなり寿司の形にも意味が込められており、日本の東西で形が異なるのは意味が違うからでした。

  • 東日本(俵型)…米俵を模して長方形に作られれる
  • 西日本(三角)…狐の耳、または山の形を模している

地域ごとに意味を重ねながら姿を変えていったのも、日本らしい食文化の面白さです。言われてみれば、いなり寿司の形が米俵や狐の耳にも見えてくるから不思議です。

いなり寿司(山型)
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江戸時代の人々の想像力の豊かさと、苦しい時代を生き抜く中での知恵が込められいたのが伺えます。

そしてこのいなり寿司は、神社の白狐がくわえている宝物にも関係していました。


狛狐がくわえている4つの宝物の意味

稲荷神社の白狐の口元や足元をよく見ると、神社によって異なる4つの宝物をくわえていたりします。これらの宝物にも宇迦之御魂神のご利益が込められていました。

宝物意味
神様の御霊や富が詰まった蔵を開ける鍵。運を開くシンボル
宝珠全ての願いを叶える不思議な玉。神様の霊力そのもの
稲穂五穀豊穣の象徴。食うに困らないことの約束
巻物神様の知恵や秘伝の教えが書かれたもの
稲をくわえる狐像 イメージ
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学業成就稲穂や宝珠、鍵など、白狐がくわえる宝物には、それぞれ豊かな実りや開運への願いが込められています。

一方、いなり寿司もまた、お米と油揚げを使った縁起物として親しまれてきました。

直接の由来には諸説ありますが、どちらにも「豊かな実りを願う」という、日本人の素朴な祈りが込められているのかもしれません。

狐 イメージ
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